櫻井家住宅は,島根県東部仁多町の南端部の山間にある。江戸前期に屋号を「可部屋」と称して鉄山業を営み,宝暦5年(1755)には鉄師株仲間の代表である鉄師頭取を松江藩より拝命し,鉄山業を取り仕切った。
主屋は元文3年(1738)の竣工,古蔵が少し前の享保20年(1735)の建設,その他の建物は主屋より遅れて順次建造された。主屋に接続する座敷は,藩主御成が行われるようになった19世紀初期の増築である。
櫻井家住宅は,近世におけるたたら製鉄の中心地奥出雲にあって,狭隘な谷間に鉄師頭取の屋敷構え全体を伝える遺構として貴重である。
主屋は,この地方の民家のなかでもひときわ大型で,上質なつくりになり,保存も良好である。御成の座敷は,江戸時代後期の数寄屋風書院の好例を示している。