江戸初期ニ築造サレタルモノニシテ小堀政一ノ作ナリト傳ヘラル池ヲ設ケ鶴島亀島ノ中島ヲ置キ石橋ヲ架ケテ之ヲ繋グ庭園ノ後半ハ自然ノ傾斜地ヲ利用シテ築山トナシ山麓ニ立石ヲ用ヒ枯瀧ヲ現ハス池汀ニ庭石ヲ組ミ庭樹トシテハあせび、しやくなげ等多シ多少荒廢セル跡ヲミルモ猶能ク築造當時ノ形態ヲ存ス
S44-12-015天徳院庭園.txt: 天徳院客殿の南にある林泉庭園である。池を中心としておだやかな意匠に構成されている。池中に大小2つの島を低く据え、石橋でこれらをつなぐ。対岸は自然の傾斜地を築山として扱い、右手、頂きに近く奥まった高みに遠山石を立てる。池畔左手に枯れ滝石組を設けて庭の主景としている。背景は、スギ・マツ・サワラ・イチイなどの高木林につつまれ、山すそから池辺にかけては、アセビ・シャクナゲ・イヌツゲ・ツツジなどの刈り込みを配する。
天徳院は、元和年間、加賀藩主前田利常の創建で(庭後にその廟所がある)作庭もその際に行なわれたと考えてよいであろう。元治元年堂宇のいっさいが焼失したが、庭園はよく当時の地割と石組とを保っている。池辺の石組その他、若干荒廃しているが、後補の跡の少ないことがかえって好ましい。今後計画的に修復整備をはかることが可能である。
高野山には、普門院・旧丹生院などに古庭園があり、戦前「第2類」の名勝として指定されたものもあるが、それらのうち天徳院庭園は最も優秀なものと認められる。