岩手県盛岡地方は藩制期より鉄鋳物の産地として知られている。江戸前期に南部藩主が京都の釜師を招いて湯釜の製作にあたらせたのが南部茶【なんぶちゃ】の湯釜【ゆがま】の起りといわれ、その後、湯釜を縮小して口、鉉【つる】をとりつけたのが鉄瓶【てつびん】の始まりと伝えられる。南部地方には、古来、領内で砂鉄や岩鉄、鋳型に好適な粘土、雫石【しずくいし】川流域の川砂等の原材料が産出されたので南部地方特有の釜・鉄瓶製作という伝統産業が発達した。近来、その業態、技法の近代化が顕著となって、現在では盛岡市内で伝統的技法による茶の湯釜・鉄瓶の鋳造を行う技術者はわずか数人であるといわれる。鋳型は惣型を用い、鋳肌は雫石川の良質の川砂と粘土により成形し、地模様は絵押金と称する箆【へら】で施す。鋳上げた釜や鉄瓶は木炭で焼き抜き、漆と鉄漿【おはぐろ】を焼付けて着色して仕上げる。