本文書は慈円がその崇敬厚かった四天王寺聖霊院の聖徳太子像に奉った自筆の願文案である。体裁は巻子装。天地に押界を施した楮紙(打紙)一一紙を継いで、一紙一六行、一行一四字前後に峻秀な筆致で書写される。本文は真字で、片仮名の送仮名を施し、文中には朱句切点を付している。
本文は、巻頭に建保四年(一二一六)正月の聖徳太子の霊告を回顧し、その後に起った九条良経の関東下向などの事実が一々それに叶っていたとし、この霊告の全部が実現しなかったことの因果の由来を記して冥鋻に備えんとして、保元の乱以後の世上の推移を詳述している。承久の乱後の現実は、慈円の理想とは程遠いものであった。こうした中で慈円は仲恭天皇の重祚、後鳥羽院の帰洛、道家の摂政還補、将軍頼経の成人といった霊告をしばしばうけるに至り、その現実化に期待を寄せながら、臨終正念と往生極楽を願って太子の冥応を仰いだのが、この願文である。
願文執筆の経過については慈円自筆の後序に明らかで、これによると、この願文は貞応三年正月、四天王寺に参籠した慈円が太子像の霊前で奉読した後、更に推敲を加え、三月に東坂本に戻り、日吉社において四天王寺で読んだ願文の一部に訂正を加えて奉読したものと記している。
この願文は、建保四年の霊告の内容、および承久の乱を挾んだ慈円の心境の変化を具体的に伝えたもので、慈円の『愚管抄』執筆の動機およびその完成の時期を考える上にも重要なものである。