人形浄瑠璃は、浄瑠璃(太夫)・三味線・人形の三業が一つになって、呼吸のぴったり合うとき、すなわち三位一体となるとき、はじめてそこに高い芸術が生まれる。もとより、人形浄瑠璃はその発生時から今日の形態であったわけではないが、芸術として最も完成され洗練されたその伝統は、今日の人形浄瑠璃文楽座の文楽に継承されている。文楽は、寛政末年淡路の人、植村文楽軒によって、いわゆる「文楽の芝居」として、従前の人形浄瑠璃が引き継がれたものだが、人形浄瑠璃はそれ以前に竹本義太夫・近松門左衛門などの手によって、ほぼ今日の形態を整えていた。しかし、明治から、昭和三十年代にかけて、文楽はいくたの消長を経たが、人形浄瑠璃としての芸能伝統はよく守り、今日にその正しい芸系を伝えている。また、文楽は一体の人形を三人で遣【つか】う特殊な演技演出法をもち、精巧細緻なこの技法は、文楽をしてわが国の代表的伝統芸能の一つとしている。