瞽女唄とは、盲人の女性が三味線を伴奏楽器にして所々持ち歩いた種々の音楽をいう。この種々の音楽は、段物・くどき・民謡・俗謡から成り立っているが、これらは一種独特の曲調と節回しのあるところから、「ごぜ唄」とか「ごぜ節」と呼ばれて伝えられてきている。これらのうち、とくに段物は日本の芸能の一主流をなしている語り物の系脈を継いでいる貴重なものであり、また民謡・俗謡の中には、日本各地の民謡の母系と考えられるものを含んでおり、日本音楽史上価値が高いと認められるので、これを記録作成等の措置を講ずべきものとして選択する。
瞽女のそもそもの起源については明らかでないが、平曲は男性の盲人の琵琶法師によって語り広められ、女性の盲人もこの種の芸能者として存在していたことは、「看聞御記」の記事や「七十一番職人歌合」の絵によって明らかである。しかし、当時は鼓を伴奏楽器としており、その呼称も瞽女であったかどうか明らかでない。瞽女というのは、「盲御前」から訛ったものともいわれており、三味線を伴奏楽器とする芸能者になったのも、三味線が日本に渡来し、日本の楽器として定着して以降のことである。したがって今日の瞽女の原形は、室町後期から江戸期初期には成立しているとみられる。
室町期以降、男性の盲人の団体は当道と称して代々の幕府の公認であったが、瞽女にもこれに似たものがあって、駿府・越後長岡・江戸・甲府・美濃・諏訪・沼津などには瞽女屋敷があったと伝えられている。しかし、これらの瞽女屋敷の跡は現在は全くなく、瞽女も越後系のものが僅かに残っているだけである。今日、明らかにされている越後の瞽女は、高田系、刈羽系、長岡系の三つに大別される。