最後の藩主鍋島直大は明治4年(1871)初めに洋行の予定であったが、父直正(閑叟)の薨去で延期。7月の廃藩置県で藩知事を免じられ、再び洋行を計画。米欧視察の岩倉使節団の随行学生として、明治4年11月12日横浜を出港、アメリカ経由でイギリスに留学した。その目的は「開けたる世のよき事をわか国へ行ふ為めのつとめなりけり」。明治7年、佐賀の乱の報に接し急遽帰国したが、すでに収まり、内命「西洋風ノ貴族風ヲ学フベシ」を受けて、胤子夫人同伴で再渡欧。英国を中心に各地を巡遊、「プリンス・ナベシマ」として社交界で活躍した。明治11年6月12日帰国の途に着いたが、この間ロンドンで撮影された夫妻の写真。このほか多数あり。