S51-6-021[[歌姫瓦窯跡]うたひめがようあと].txt: 平城京の北、後背にみられる奈良山丘陵には平城京の屋瓦を焼いた瓦窯跡群が数か所に点在している。歌姫瓦窯跡は、それらのうちの一つである。
木津川にそう木津の町から南下し、鹿川にそって歩くと著名なウワナベ、コナベ古墳のかたわらを通り容易に平城宮に出るが、歌姫瓦窯跡は、この道の西側の低い丘陵の一段小さく入った谷地形の西に向かう斜面に設けられている。
本瓦窯跡は、昭和28年、奈良県教育委員会により発掘調査され、南北に連なる6基の平窯の存在を確認しており、その南に2、3基の平窯の存在が推測されている。窯の実際を南端の1基で窺うと、全長4.2メートルの平窯であり、燃焼室と焼成室の境を遮断した7個の焔通口を設けた焔道をもつロストル式の構造に従うものであり、窯壁には平瓦と粘土を用いており、焚口には石材を使用している。焼成室は燃焼室より0.5メートル程、一段高くしつらえており、長さ1.1メートル、幅2.3メートルを測る。
本瓦窯跡で焼成された屋瓦は、主として丸瓦、平瓦であり、平城宮所用の奈良時代末期に属する屋瓦と共通するものであって、平城宮差し替え瓦なり、造・改築に伴う瓦と考えられ、平城宮経営上、きわめて重要な役割を果した官窯と見られる窯跡である。なお、この窯跡の北西に接して数個の礎石があったと伝えられ瓦屋かとも推測されているが、それらを含めて指定するものである。