玉川上水 たまがわじょうすい

史跡

  • 東京都
  • 羽村市・福生市・昭島市・立川市・小平市・小金井市・西東京市・武蔵野市・三鷹市・杉並区・世田谷区・渋谷区
  • 指定年月日:20030827
    管理団体名:
  • 史跡名勝天然記念物

 玉川上水は、江戸時代前期、江戸市中への給水を目的として、武蔵国多摩郡羽村(現・東京都羽村市)の多摩川に取水口を設け、江戸の東の入口にあたる四谷大木戸(現・同新宿区)に至るまでの約43km間を自然流下により導水する施設として掘削された素掘の開渠水路である。工事は幕府の命令により玉川庄右衛門・清右衛門兄弟が請け負い、承応2年(1653)2月に着手、翌年6月に竣工したとされる。
 江戸市中に入った上水は、石樋・木樋等の暗渠水路で江戸城・武家屋敷・庶民の居住地等に配水され、飲料水のみならず、防火用水・泉水用水・堀用水等多目的な機能を有する都市給水施設として人々の生活を潤した。
 それとともに、玉川上水は、羽村から四谷大木戸に至るまでの武蔵野台地の新田開発の灌漑及び生活用水としても機能しており、江戸時代中期の寛政年間までに33個所の分水施設が設置されるに至っている。また元文年間には小金井付近を流れる上水の堤に桜が植えられ、江戸近郊の行楽の場ともなり、大正12年(1923)には名勝「小金井(サクラ)」に指定されている。
 近代に至り衛生思想の移入に基づく近代水道が明治31年(1898)に東京に導入されると、淀橋浄水場(新宿区)が建設され、浄水場で緩速濾過した水が都心部に給水されるようになった。玉川上水の水は浄水場に導かれ、江戸時代に引き続き活用されたのである。その後、昭和40年(1965)に淀橋浄水場が廃止され、小平監視所(小平市)から下流は導水路の役割を終えたが、羽村取水口から小平監視所までの上流部は今なお水道導水路として修理・維持管理されながら機能している。
 現在、浅間橋(杉並区)以東の下流部は多く暗渠となり公園等として利用されていて往時の面影はごく一部しか残存しないが、小平監視所から浅間橋までの中流部は近世の素掘り水路の状況を残す部分が多い。また上流部は現役の水道導水路として使用されているため改変された部分が多く見られるが、近代の歴史的土木施設としての価値をも有するものである。
 このように、玉川上水は、優れた測量技術に基づく長大な土木構造物であって、近世初期における水利技術を理解する上で重要であるばかりでなく、近世都市江戸の用水供給施設として、また武蔵野台地の近世灌漑用水として貴重な土木遺産である。しかも、改修が繰り返されてはいるものの、かつての路線のまま連続して残されていることの意義は、まことに大きい。よって羽村取水口から四谷大木戸までの水路敷のうち、開渠部分の約30.4kmを史跡に指定し、その保護を図ろうとするものである。

玉川上水

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