百武兼行が描いたと思われる10代鍋島直正の肖像画。正装した衣冠束帯の表現が平板なことなどから、実写ではなく写真をもとにして描いたものと考えられる。百武は9歳の時、のちに11代藩主となる直大のお相手役に選ばれ、直大の父・直正の側近だった古川松根(1813-72)に師事して和漢の学と書画を学んでおり、百武は本品のほかに古川松根像も残している。ただ百武が洋画家としての実力を本格的に身に付け始めるのは明治7年(1874)に再渡欧した際、直大夫人・胤子のお相手としてロンドンでリチャードソンに師事してからであり、その後のパリ修行を経てローマ滞在中の明治14年に描いた鍋島直大像は彼の肖像画の到達点を示している。