旧南部氏別邸庭園は,盛岡市街地の北,中津川の右岸に位置する。この地には江戸時代初期に盛岡藩の「御薬園(おやくえん)」が設けられたが,同園の廃止後に御殿や庭園が造られ,代々の藩主の別荘地となった。明治維新後建物は取り壊され,庭園も荒廃したが,明治41年(1908)に南部家第43代当主南部利(とし)淳(あつ)により,現在まで残る木造建築と庭園が整備された。
愛宕山に隣接する平坦な土地につくられた庭園は,3つの中島が浮かぶ広い池を中心とし,池の周囲及び中島には様々な意匠の燈籠類やマツ,モミジ等の樹木が配されている。
幾度か改修され,第二次世界大戦後には庭園の一部が失われたものの,江戸時代の絵図等も残っており,その変遷を追うことができる。
以上のように,旧南部氏別邸庭園は,江戸時代以降の東北地方における造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。