歴史資料/書跡・典籍/古文書 文書・書籍 / 室町 鎌倉 南北朝
深堀氏は上総国伊南庄深堀を本貫とする御家人で、建長7年(1255)に執権北条時頼の計らいにより肥前国彼杵郡戸八浦(戸町浦/野母半島一帯)の地頭職に補任され、やがて肥前に移住。桃山初期には豊臣秀吉に臣属したが朝鮮出兵を契機に鍋島直茂に臣従し、深堀純賢(茂宅)の時に鍋島姓を許された。江戸時代を通して6000石を領し、鍋島家一門として家格は家老、佐賀藩の長崎警備では重要な役割を担った。
深堀家文書は、深堀氏が肥前国彼杵郡に地頭職を与えられた建長7年(1255)の将軍家政所下文など鎌倉・南北朝時代を中心に文禄年間(1592~96)に及ぶ全386通が9巻に仕立てられ、題箋は「深堀記録証文」とされている。内容的には、東国御家人の西国下向の実態や、蒙古襲来、南北朝の動乱などにおける軍事行動・恩賞配分などの詳細を知ることができる。昭和56年7月2日重要文化財に指定。武家文書として全国的にも有数なもの。
【翻刻資料】『佐賀県史料集成』古文書編第4巻、佐賀県立図書館、昭和34年