蒸気機関車、客車とも三田尻(防府市)と堀(山口市徳地)間で営業していた防石鉄道(大正8年~昭和39年)で使用されたものである。
蒸気機関車は、明治27年(1894)クラウス社で製造されたもので、川越鉄道(現:西武鉄道)に導入された機関車を大正7年(1918)防石鉄道開業にあたって譲り受け、川越鉄道時代の2号の車番を残して使用された。
防石鉄道は蒸気機関車の使用を昭和31年(1956)に停止し、他に所有していた蒸気機関車は廃車になったが、2号機は休車のまま防石鉄道の廃止まで残った。
客車1 ハ6は、明治32年(1899)中国鉄道のハ68として平岡工場(東京)で製造された。その後国鉄に移り、昭和23年(1948)に防石鉄道が購入したもの(昭和26年11月1日認可)
客車2 ハ二フ1は、防石鉄道の開業にあわせて大正7年(1818)に枝光鉄工所(福岡)で新たに製造された。
以上の蒸気機関車1両ならびに客車2両は、防石鉄道の廃止後は周防宮市車庫跡地に保管されていたが、平成7年(1995)7月に防府市に寄贈され、JR西日本埴生車両所(現:下関車両センター)で更新された後、防府駅付近連続立体交差事業により作られた鉄道記念広場(平成8年2月15日開場)に設置され、静態展示されている。