斐伊川(ひいがわ)の源流部に位置する奥出雲地域は,起伏の緩やかな山地と広い盆地が発達しており,「真砂(まさ)砂鉄(さてつ)」と称される良質な磁鉄鉱を多く含有する地帯であることから,近世・近代にかけて我が国の鉄生産の中心地として隆盛を極め,「たたら製鉄」が栄えた。
丘陵を切り崩し水流によって比重選鉱するという「鉄(かん)穴流(ななが)し」が広範囲に行われ,この鉱山跡地(鉄穴流し跡)では,後にその地形を活かして豊かな棚田が拓かれた。
江戸時代,松江藩は,有力鉄師(たたら経営者)のみに鈩(たたら)株(鈩経営権)を与え,安定経営を図ったため,国内の一大鉄生産地域となった。明治に入り,安価な洋鉄が大量に輸入されるようになったことなどから,たたら製鉄は次第に衰退し,大正末年には一斉廃業となった。その後,日本刀の材料となる「玉鋼(たまはがね)」が枯渇したことから,昭和52年にたたら製鉄が選定保存技術として復活している。
このように,奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観は,たたら製鉄・鉄穴流し及びその跡地を利用した棚田によって形成されたものである。鉄(かん)穴(な)横手(よこて)(水路)及び鉄穴残(かんなざん)丘(きゅう)が点在する棚田が広がりをみせる農山村集落を,かつて鉄山(てつざん)(たたら製鉄用の木炭山林)であった山々が取り囲み,その一部で今なお,たたら製鉄が行われている景観地は,我が国における生活又は生業の理解のため欠くことのできないものである。