佐賀藩士山本常朝が編集した父重澄(1590~1669)の年譜で、正式には「山本神右衛門重澄法名孝白善忠年譜」という。奥書によると、宝永4年(1707)に「先祖の忠義を慕い、…奉公の励み」にする目的で、常朝が娘婿の山本吉三郎(権之丞)のために、佐賀城下北郊の北山の草庵で著したもの。
重澄は天正18年(1590)に中野神右衛門清明の三男として母鶴田善助の娘との間に蓮池で生まれた。佐賀藩祖鍋島直茂・初代佐賀藩主勝茂・2代藩主光茂の3代に仕え、寛文9年(1669)、城下東郊にあたる東田代の隠居屋敷で没した。年譜の内容は、重澄が初代有田皿山代官として有田陶山の整理や運上銀の増徴に手腕を発揮したことや、大坂城の普請、島原の乱で活躍したことなどを詳細に記しており、佐賀藩政史上、重要な史料である。