10代佐賀藩主・鍋島直正(1814~71)30歳頃の作。屈曲・屈折した線が目立つ晩年期の作例と比べ、本作には細長い連綿や、尸の左払いなど軽妙な要素が多く、ぽってりとした墨溜まりと絡みながら筆が走る。
後半部にある「蜻蜓尾」とは日本列島の端、ここでは奥羽・蝦夷地方面を意味する。閑叟は警備と貿易の両面からこの地に関心をもっていた。本詩は天保11年(1840)、奥羽視察に派遣した佐賀藩士・永山徳夫(二水)への送別詩で、本作も作詩からさほど遠からぬ時期と思われる。永山はのち御側頭となるも弘化2年に没。墓前(佐賀市大和・実相院)に閑叟が赴いた際の漢詩が、直正漢詩集の野人亭稿に収録されている。