歴史資料/書跡・典籍/古文書 絵図・地図 / 江戸
長崎警備を担当していた佐賀藩は、幕末の外国船来航に対し、内目周辺での防備では不十分と考え、長崎湾の外目(沖側)に位置する両島台場の築造(伊王島と神ノ島・四郎島)に乗り出した。10代佐賀藩主鍋島直正も築造以前から予定地に自ら足を運ぶなど積極的に関わり、嘉永5年(1852)には神ノ島・四郎島の海峡埋立て工事が竣工し、佐賀城下の大銃製造方で製造した大砲が設置された。本図には、各台場の大砲から発射した際の弾道の方向と飛距離が朱線で示されている。
神ノ島・四郎島填海工事之図
陣内松齢
長崎港内外台場図
神ノ島図