小さな裸婦

彫刻 その他

29
マリーニ,マリノ
MARtNl, Marino
1901―

小さな裸婦
Small Nude

1943年
ブロンズ
53.6×26.2×32.2cm
東京国立近代美術館所蔵

マリノ・マリーニは,1901年2月27日,イタリア,トスカーナ地方のビストイアに鋭行家の息子として生まれた。フィレンツェの美術学校で絵画と彫刻を学んだ後,マリーニは,28歳で早くも,彫刻家アルトゥーロ・マルティーニの後任としてモンツァの美術学校で教鞭をとることになる。ドイツ,フランスをはじめ,ヨーロッパ各地を旅行し,多くの展覧会に参加し,また同時代の芸術家ピカソ,プラック,ムーア等と親交を結ぶうちに,彼は戦後のイタリアを代表する彫刻家の一人となっていた。
イタリアにおける現代彫刻の流れは,1910年代,未来派の彫刻家ポッチョーニにその端を発するが,ボッチョーニのキュビスムの表現形式を取り入れた内部空間を外側の空間へむかって開くような観念的で幾何学的な様式は彼の死後継承されることはなかった。第1次大戦後からファシズムの台頭してくる時期にかけてのイタリア彫刻界は,ローマ及びルネッサンスといった偉大な伝統への回帰や,印象主義的なものへの退行が支配的であった。そのなかで,第2次大戦を契機として生まれる新たな人間主義的傾向は,マリーニとマンズーに依るところが大きい。
マリーニ自身も語っているように,彼の作品を決定づけたのは,ファシズムや帝国主義により生じる非人間的な状況に対する反抗であった。彼は,エトルスク,エジプト及びアルカイック期のギリシアなど古代世界の造形が共通して持っていた素朴で根源的な人間の表現を自分のものとしようとする。それは,自然と人間との調和であり,そこでは抽象と具象といった区別も存在しない。マンズーが宗教的題材を扱うのに対し,マリーニは意識的にそれを避けているように思われる。恐らく,彼にとっては,体制と結びつく危険性をもった宗教よりも,普遍的な人間の営みのほうがより本質的なものと感じられたのであろう。彼の扱う主題は,肖像彫刻のほか,〈軽業師〉などの男性像,装飾品の一切ない単に人間と馬の関係のみに着目した騎馬像,そして豊満な裸婦に限られ,時にそれらは,マリーニが最初の頃,画家を志していたことを反映するかのように着彩されることもある。
この〈小さな裸婦〉を含め,マリーニの女性像は,洗練されたというには程遠い無骨なまでの逞しさを持っている。時として,彼女たちは、ローマ神話中の果実の女神「ポモナ」と名付けられ,多産を象徴するかのように,豊かな乳房と妊娠したような腹をその特徴として持っている。このような乳房と腹を強調した表現は,大地の豊饒を祈願して作られた原始美術の女性像に多くその例をみるもので,大地母神との繋がりを示しているといわれる。
20世紀美術,特に彫刻は,黒人彫刻など各地の民俗芸術及び原始美術から多くの造形的影響を受けているが,それを受容する作家の意識は必ずしも同一ではない。マリーニの場合は,明確に,彼の現代社会に対するアンチテーゼと,あくまで今日という地点から夢想する理想世界としての古代を表わしているといえるであろう。


小さな裸婦

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