天保山魯船図 てんぽうざんろせんず

絵画 日本画 / 江戸

  • 筆者不詳
  • 江戸時代、嘉永7年以降 / 1854年以降
  • 紙本著色
  • 38.2×476.3
  • 1巻
  • 「嘉永七甲寅歳九月十七日安治川口江/魯西亜舩碇泊之事」「ヲロシヤ國舩之圖」

    来歴:池長孟→1951市立神戸美術館→1965市立南蛮美術館→1982神戸市立博物館

    参考文献:
    ・神戸市立博物館『まじわる文化 つなぐ歴史 むすぶ美―神戸市立博物館名品撰―』図録 2019
    ・神戸市立博物館特別展『神戸開港150年記念特別展 開国への潮流―開港前夜の兵庫と神戸―』図録 2017
    ・高久智広「嘉永七年(一八五四)のロシア船来航と大坂船手頭の役割」(『神戸市立博物館研究紀要』第28号) 2012

天保山沖に碇泊するロシア軍艦ディアナ号を描いた図です。画面中央の小高い丘が天保山で、左右はそれぞれ多くの和船が行き交う安治川口と木津川口。周囲の和船に比べ、ディアナ号の大きさが際立っています。本図巻では冒頭に「嘉永七甲寅歳九月十七日安治川口江魯西亜舩碇泊之事」と題する詞書、続いて本図とディアナ号の甲板上の様子を描いた図、ロシア人たちの宴席を描いた図の3図を載せます。作者は不明ですが、詞書に大坂城代土屋寅直の手勢以下の派兵状況、ロシア船の規模、ロシア側の要求など詳細な記載があることから、交渉を担った大坂町奉行に近い人物が想定されます。彼らは、西欧諸国では4隻で1艦隊を編成するという知識を有しており、一隻で来航したロシア使節に対し、艦隊を編成する友船の有無を尋ねています。これに対するロシア側からの回答はなく、また紀州沖に最大8~9隻の異国船が来航しているとの情報もあったことから、彼らは大坂湾外に友船が存在することを前提に初期の交渉に臨むことになります。

【開国・開港】

天保山魯船図 てんぽうざんろせんず

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