天保山沖に碇泊するロシア軍艦ディアナ号を描いた図です。画面中央の小高い丘が天保山で、左右はそれぞれ多くの和船が行き交う安治川口と木津川口。周囲の和船に比べ、ディアナ号の大きさが際立っています。本図巻では冒頭に「嘉永七甲寅歳九月十七日安治川口江魯西亜舩碇泊之事」と題する詞書、続いて本図とディアナ号の甲板上の様子を描いた図、ロシア人たちの宴席を描いた図の3図を載せます。作者は不明ですが、詞書に大坂城代土屋寅直の手勢以下の派兵状況、ロシア船の規模、ロシア側の要求など詳細な記載があることから、交渉を担った大坂町奉行に近い人物が想定されます。彼らは、西欧諸国では4隻で1艦隊を編成するという知識を有しており、一隻で来航したロシア使節に対し、艦隊を編成する友船の有無を尋ねています。これに対するロシア側からの回答はなく、また紀州沖に最大8~9隻の異国船が来航しているとの情報もあったことから、彼らは大坂湾外に友船が存在することを前提に初期の交渉に臨むことになります。
【開国・開港】