小田野直武(1749-80)は秋田藩角館出身の画家。安永2年(1772)、平賀源内の秋田来訪をきっかけとして、藩主・曙山から江戸行きを命じられると、杉田玄白『解体新書』の挿絵を手がけるなど、蘭学者との交友、舶載洋書・銅版画の学習に努めました。安永9年(1780)32歳で角館にて没しており、7年ほどの短期間で秋田蘭画の名品を数多く遺しました。水辺に咲く蓮は水面からは幾本もの茎が伸び、大きな蓮の葉を広げています。緩やかな茎の先には大きな白い蓮花が満開です。S字状の茎の先には花托があり、部分的に薄墨を刷いた背景で優れた均衡を見せています。下方の遠景には対岸の木々が銅版画風の細線を連ねて描かれています。蓮は精緻な葉脈と陰影、茎のトゲトゲとした凹凸など、きわめて写実的に描いています。前景に蓮を大きく明瞭に描き、遠景を低く小さく茫漠と描くことで、遠近感を生み出しています。水中の葉、茎も、水面越しの揺らめきを巧みに描いています。蓮は「連」「廉」と音が通じ、その実は種子が多いことから、清廉や子孫繁栄の象徴です。蓮は「蓮荷」とも称され、「荷」は「和」「合」と音通することから、夫婦の愛和も象徴するモチーフとして、東洋絵画ではしばしば描かれてきました。本作品は東洋と西洋を巧みに融合した直武の代表的作品です。
【江戸の絵画】