宇和島藩が奥浦(愛媛県宇和島市)を測量して作製した絵図。北の法花津湾と南の宇和島湾を分ける奧南半島の突端部に位置する。漁業中心の村であり、伊達秀宗の宇和島入国以前からある本網が3帖、その後許可された結出網が2帖あった。周囲には多くの網代(漁場)があり、いわし網漁が盛んにおこなわれたが、肥料としての干鰯を生産するために天日干しをする「鰯干場」が村の至る所に設けられていたことがうかがえる。村の中央、奧浦間口を運河が抜けている。この運河は「間の堀切」といわれ、寛永3(1626)年に開かれたという記録がある。長さが122間(約220m)、幅が3間(約5.4m)で、満潮時には小船が通ることができた。