筑豊炭田遺跡群 三井田川鉱業所伊田坑跡 目尾炭坑跡 旧筑豊石炭鉱業組合直方会議所及び救護練習所模擬坑道 ちくほうたんでんいせきぐん みついたがわこうぎょうしょいたこうあと しゃかのおたんこうあと きゅうちくほうせきたんこうぎょうくみあいのおがたかいぎしょおよびきゅうごくんれんじょもぎこうどう

史跡 その他

  • 明治~昭和
  • 指定年月日:20181015
    管理団体名:
  • 史跡名勝天然記念物

福岡県北部の遠賀(おんが)川流域に開発された,明治中期から昭和20年代にかけて,我が国最大の炭田であった筑豊炭田の遺跡群である。炭鉱経営は中央財閥,筑豊地方の有力者,小坑主によるものであった。筑豊炭田は明治30年(1897)には全国産出量の50%を超え,昭和15年(1940)を出炭量のピークとしてその後は漸減し,昭和48年(1973)までに閉鎖となった。三井田川鉱業所伊田坑跡は,筑豊最大規模を誇った炭坑跡で明治43年(1910)築の竪坑櫓1基と,炭坑節でも唄われた明治41年(1908)築の煉瓦煙突2基が残存し,竪坑の巻上機室や汽缶場の基礎などが確認された。目尾炭坑跡は杉山(すぎやま)徳(とく)三郎(さぶろう)が明治14年(1881)に筑豊で初めて蒸気機関による排水に成功した遠賀川沿岸の炭坑で,杉山が排水に成功した竪坑を覆うコンクリート製蓋や煙突基礎などを確認した。明治43年に完成した旧筑豊石炭鉱業組合直方会議所には,筑豊の炭坑経営者たちが集まり,採炭制限や保安対策などについて議論した。同組合の救護練習所模擬坑道は,大正9年(1920)に設置された煉瓦造と鉄筋コンクリート造のアーチ型の練習坑道で,炭坑の深部掘削を背景とした爆発事故に対応して作られたものである。石炭業を採炭,運搬,労働環境など多岐の面より理解する上で重要である。

筑豊炭田遺跡群 三井田川鉱業所伊田坑跡 目尾炭坑跡 旧筑豊石炭鉱業組合直方会議所及び救護練習所模擬坑道

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