『松平家忠日記』は、徳川家康の一族である深溝松平家の四代目当主、松平家忠(一五五五~一六〇〇)の自筆日記である。家忠は当主となった後、家康の下で軍功を重ねると共に、岡崎、浜松等での城普請に従事した。家康が関東に移封されると、家忠も武蔵国忍へ移封された。慶長四年(一五九九)から伏見城守備を命じられたが、翌年小早川秀秋らの攻撃を受けて、城と運命を共にした。
記録時期は、天正五年(一五七七)十月頃から文禄三年(一五九四)九月頃に至る一八年間である。この時期は、家康が織田信長と連携しつつ武田・北条氏と対抗していた時期から、秀吉に次ぐ地位を固めていった時期と重なる。
日記には、信康(家康嫡男)自害の一件、武田氏攻略の一連の経過、本能寺の変、小牧・長久手の戦い等、重要事件の記録が随所に見られる。また、小牧・長久手の戦い以降、家康に対する呼称が日記の中で「家康」から「家康様」等に変化しており、家康の政治的な地位向上の反映を読み取ることができる。また、この日記は、政治的な動向のみならず、連歌、茶の湯、鷹狩、深溝本光寺参詣など、家忠の活動に関する幅広い内容を持っている。
以上から、本書は、家康に近侍する者が自筆で記録した史料として、また、同時代の武家日記としては長期にわたる記録として極めて貴重な史料である。