長者山官衙遺跡及び常陸国海道跡 ちょうじゃやまかんがいせきおよびひたちのくにかいどうあと

史跡 その他

  • 奈良~平安
  • 指定年月日:20181015
    管理団体名:
  • 史跡名勝天然記念物

 日立市北部の洪積台地東端,標高20~25mに立地する奈良時代から平安時代にかけての官衙遺跡である。遺跡の東側の低地には,「目(め)島(しま)」などの小字名があることから『常陸(ひたち)国(のくに)風土記(ふどき)』に記され,弘仁3年(812)10月28日に廃止された「藻(め)島(しまの)駅(うま)家(や)」が存在する可能性が指摘されてきた。日立市教育委員会による発掘調査により,幅5.5~6.7m(一部が最大16.5m以上に拡幅)の古代官道と考えられる道路跡に東接して,溝で区画された東西134~165m,南北110~116mの範囲の中から,8世紀中葉から10世紀代の掘立柱建物群と礎石建物群が見つかった。8世紀中葉から9世紀中葉の施設は12棟の掘立柱建物からなる。これらの建物はコの字型に配置されていると考えられ,中には同一位置で1~2回の建て替えが認められるものもある。一方,9世紀中葉以降の施設は,倉庫と考えられる8棟の礎石建物からなる。前者の施設は施設の立地や藻島駅家の存続時期が合致することから藻島駅家跡の可能性が考えられ,後者の施設は多珂郡正倉別院の可能性が考えられる。
 長者山官衙遺跡は交通と密接に関わる官衙遺跡であり,常陸国北部における駅路とその周辺施設の変遷を示すだけでなく,古代国家の交通政策を知る上でも重要である。

長者山官衙遺跡及び常陸国海道跡

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