石峯寺は神戸市北区淡河町神影所在する真言宗高野山派の寺院で、山号を岩嶺山(がんれいさん)と言います。寺に伝わる縁起では白雉2(651)年に法道仙人という伝説上の人物が開基したと伝えます。
この地は播磨国の東端に位置し、播磨各地と京都などの畿内を結ぶ湯山街道の近辺に立地する。平安時代後期頃から修験道の聖地として、栄え始めたと推定されます。鎌倉・室町時代前期には、地元の豪族である淡河氏などの援助を受けて、寺域、寺宝の整備を行ったと伝えられます。
当館の所蔵する石峯寺境内出土品は、銅板製鍍金経筒、法華経の残塊、陶製五輪塔、丹波焼瓜蝶鳥刻文壺などがあります。これらは石峯寺境内の2箇所から出土したといわれており、平安時代末~鎌倉時代とやや時代幅があります。
銅板製鍍金経筒は、薄い銅板を丸めて5本の鋲で接合し、円筒に成形しています。蓋は傘蓋式と呼ばれ、表面には蓮華文が刻まれています。経筒の表面全体に鍍金が施されており、令和2年度に実施した保存修復作業によって、製作当時の黄金の輝きがよみがえりました。底の部分は腐食して欠失しており、木製の底板は後補のものです。
【中世の神戸】