本願寺名古屋別院は明応年間に伊勢国長島杉江に、本願寺第八代蓮如上人の第十三子である蓮淳師(1464~1550)が創建した願證寺を起源とする。天正2(1574)、長島一向一揆の際願證寺は焼失するが、第十一代顕如上人のとき、尾張国春日井郡清洲に願證寺を再興、間もなく桑名にも願證寺を再興し、桑名願證寺と称した。清洲願證寺は以後通所となる、慶長年間には、名古屋城築城とともに城下の南寺町、現在の門前町に移転し、名古屋願證寺となった。正徳5年(1715)、桑名願證寺が真宗高田派へ移転したため、正式に名古屋願證寺を本山本願寺の坊舎と定め、名古屋御坊と称するようになった。享保年間には尾張徳川家三代綱誠の側室梅昌院 (~1730)の庇護を受け鐘楼を再建(※「尾張名陽図会 上」では移築とされている)。 明治9年(1876)に本願寺名古屋別院と称し境内も整備された。伽藍の中で、昭和20(1945)の 空襲による焼失を免れたのは鐘楼と南門のみである。