1899(明治32)年、歌舞伎座の「紅葉狩」上演にあわせて、九代目市川団十郎、五代目尾上菊五郎の至芸を記録した、現存最古の日本映画。平維茂(たいらのこれもち)が信州戸隠山(とがくしやま)で出会った更科姫(さらしなひめ、その正体は鬼女)を退治する。撮影は、当時のフィルムの感度や照明技術の問題から、実際の舞台ではなく屋外に即製の舞台を組んで行われた。映画史家の田中純一郎によれば、フィルムを実見した演劇評論家の安藤鶴夫氏は「“ああ、ああ、団十郎が、菊五郎が生きている、動いている、こんな不思議があってよいものか”と[…]映画の功徳を今更のように讃えていた」(田中純一郎『日本映画史発掘』[冬樹社、1980年])という。冒頭のタイトルは後年、日活が加えたもので「歌舞伎十八番」は「新歌舞伎十八番」、「風の神」は「山神」の誤りがみられる。日活株式会社から寄贈された35㎜可燃性デュープネガは2009年、映画としては初の重要文化財に指定された。