歴史資料/書跡・典籍/古文書 文書・書籍 / 鎌倉 南北朝 室町 安土・桃山 江戸
本文書は旧仙台藩主伊達家に伝来した文書である。伊達氏は本拠を西山(陸奥国伊達郡)から米沢(出羽国置賜郡)、岩出山(陸奥国玉造郡)、仙台(同宮城郡)へと移して、江戸時代を通して仙台から動くことはなかった。本文書は幕末まで一万一千通余あるが、今回はおおよそ伊達政宗の死去時までのまとまりをその範囲とする。うち天正十八年(一五九〇)の奥羽仕置以前の文書は約六百通あり、中世伊達氏の本拠であった伊達郡および置賜郡などに関するものが多い。
最も古いものは永仁五年(一二九七)の関東下知状であり、室町幕府とのつながりでは文明十五年(一四八三)伊達成宗上洛日記写がある。天正二年御日日記は政宗父輝宗の日記で戦国大名が記した稀有な自筆日記であり、天正五年(一五七七)閏七月二十三日付織田信長朱印状は、信長が輝宗に対して上杉謙信の討伐を命じている。天正十七年十一月の北条攻めに際しての豊臣秀吉が政宗に送った小田原陣陣立書もあり、寛永三年(一六二六)八月十六日付金森出雲守重頼充の伊達政宗書状には政宗が前日に詠じた自作和歌を修正するなど、政宗の和歌に対するこだわりも見られる。
本文書は、鎌倉時代に始まり南北朝・室町時代の伊達氏と朝廷・幕府との関わりや、伊達政宗と信長・秀吉・家康やそのほかの近隣諸大名とやりとりした書状など、中世東北地方を研究する上で第一級の史料であり、また古文書学上もたいへん貴重である。