長屋王家木簡は、長屋王(六七六または六八四~七二九)と夫人の吉備内親王(?~七二九)の邸宅跡である平城京左京三条二坊一・二・七・八坪の四町域のうち、八坪東南隅の土坑SD四七五〇(全長二七・三㍍、幅二・八~三・七㍍)から出土した木簡である。
附のうち長屋王邸宅跡である一・二・七・八坪から出土した木簡は前述の土坑以外からみつかったもので、長屋王没後の時代の木簡が含まれている。また、庭園跡である六坪にある蛇行溝SD一五二五は菰川旧河道で、出土した木簡は長屋王邸宅から流れてきたものと推定されている。
年紀がある長屋王家木簡の年代幅は、削り屑を除くと和銅三年(七一〇)八月から霊亀二年(七一六)十二月である。木簡は、内容によって文書・付札・その他に大別できる。さらに文書木簡のうちで授受関係が明らかなものを文書木簡、帳簿・伝票などを記録木簡とする。付札は各地から都に貢進される税物に付けられた「荷札」と、物品の整理・保管のために付けられた「付札」に分けられる。その他は、習書・楽書・記載内容不明の断簡類である。
出土地が長屋王の邸宅跡であることを確実にしたものは、雅楽寮から「長屋王家令所」に充てて舞人の派遣を依頼した文書木簡で、「移」という正式な文書の記載様式を持つ。
一貴族の家政に関わる類まれな史料群であり、奈良時代の社会経済史研究上、極めて価値が高い。