清水河内守宗次の活動期は、鏡師銘記集に寛永から寛文ごろとあり(広瀬都巽1974)、本鏡も、微細な砂目地を蜜に打ち、右方に空間を大きくとる十七世紀特有の構図を見せる。ただ鋳出は全体にあまく、中期以降の踏み返し鏡の可能性もある。
鶴丸紋南天鏡
天下一人見出雲守藤原秀次
網代地扇面散長方鏡
天下一五十川
橘樹柄鏡
天下一若狭