コンストルクチオン

絵画 油彩画

  • 村山知義  (1901-1977)
  • ムラヤマ、トモヨシ
  • 大正14年 / 1925
  • 油彩、紙、木、布、金属、皮・額・1面
  • 84.0×112.5
  • 左下に署名、年記

65
コンストルクチオン
Construction
1925(大正14)年
アッサンブラージュ(木、紙、金属など) 84×112.5cm
assemb1age(wood, paper, meta1 etc.)
1921ー23年のベルリン滞在時に表現主義、未来主義、構成主義など新旧さまざまな諸流派が錯綜する欧州美術界の現状を目のあたりにした村山知義は、そこから、「普遍妥当的な美の基準はない」という根本的な時代体験を得たようである。「美醜の観念について、客観的普遍妥当的な基準が存在しないとすれば、各美術家は自分の主観的な基準にたよるより仕方がない」。その意味では未来派も表現派もこの時代に生まれるベくして生まれたのだが、それらは主観主義への過度の傾斜ー意識性の欠如ーゆえに、かえって時代に対処しそれを克服することができない。したがって、「そこに安居していることのできぬ美術家は、自分の主観的な基準に意識的に矛盾を掻き立てて、その相剋によって、更に高い統一を求めなければならない」一こうして、構成的に組み立てられた画面に、主観的な基準に意識的に矛盾をかきたてる媒介として金属片、布切れ、毛髪などさまざまな素材をとり入れる、彼の「意識的構成主義」が生まれた。それはもともと構成主義の次の段階として構想されたものだが、〈コンストルクチオン〉に見るように、実際には、日本の近代美術史上はじめての、多分にダダ的なコラージュやアッサンブラージュ作品を生むことになった。

コンストルクチオン

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