工芸品 金工 / 安土・桃山
- 鳥取県
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安土桃山時代
- 桃形兜は、戦国時代に発生した変わり兜の中でも先駆けをなす存在で、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて西日本で流行して、身分の上下を問わず使用された。本例は戦国武将・吉川元春が宗形神社(米子市宗像)に奉納したものと伝えられており、代表的な桃形兜のひとつとして古くから知られている。
兜鉢は、よく鍛えた4枚の鉄板を中央・側面で矧ぎ合わせ、さらに2枚の腰巻板をついだ6枚張である。左右の合わせ目に鋭い鎬を立てて、前半分を緩やかな傾斜、後半分を球形の桃形に整えている。曲線的な当世風眉庇には、前立を取り付ける堅牢な一本角元が装着されているが、威容を誇る前立は失われている。鉢部とそれに続く腰巻板の表面と眉庇の表裏面は金箔押しの上から透漆を塗った上質な白檀塗り仕上げとなっている。内張・忍の緒は失われている。
錣に取り付けた吹返しは小型で当世兜の特徴を表している。頸部を保護する錣は黒漆塗りした帯状の鉄板を5枚素懸に懸け垂らし、肩当たりの左右を刳った日根野錣となっている。
- (鉢部)眉庇幅18.8cm、奥行25.9cm、高さ21.6cm、総重量 1.92㎏
- 1頭
- 鳥取県米子市中町20番地
- 米子市指定
指定年月日:20201028
- 米子市
- 有形文化財(美術工芸品)
宗形神社は、斉衡3(856)年に「従五位上」の神階を授与されている延喜式内社で、もとは山頂付近に鎮座していたものを弘治2(1556)年に尼子晴久により現在地に遷座され、その後も武将たちの崇敬は篤く、武具などの献納がなされている。桃形兜は、平成29年に米子市へ寄贈された。