金峯山経塚出土紺紙金字経 きんぷせんきょうづかしゅつどこんしきんじきょう

歴史資料/書跡・典籍/古文書 文書・書籍 / 平安

  • 藤原道長・藤原師通
  • 奈良県
  • 平安時代
  • 法量省略
  • 8巻
  • 奈良国立博物館 奈良県奈良市登大路町50
  • 重文指定年月日:19530331
    国宝指定年月日:20240827
    登録年月日:
  • 金峯神社
  • 国宝・重要文化財(美術品)

奈良県・山上ヶ岳山頂の大峯山寺山上本堂周辺に、主に平安時代に営まれた複数の経塚を総称して金峯山経塚という。
 藤原道長(九六六~一〇二七)は、寛弘四年(一〇〇七)に金峯山に参詣して、「金銅藤原道長経筒」(国宝・金峯神社所有)に自筆の法華経等十五巻を収めて埋納した。経筒の銘文から、法華経等十巻は長徳四年(九六八)に書写し、残る五巻は寛弘四年に書写したこと等がわかる。長く地中に在ったため各巻共に下半が朽ちて失われているが、残存部分は料紙の状態がよく、金字もはっきりと判読できる。なお、『御堂関白記』の記述からも埋納の経緯を知ることができる。
 道長のひ孫にあたる藤原師通(一〇六二~九九)は、寛治二年(一〇八八)と同四年の二度にわたって金峯山に詣でている。現存する師通願経は寛治二年のものであり、同年の「藤原師通願文」(重文)によると金字法華経八巻等十二巻を「銅函」に納めて埋納したことが知られている。経典の天地が完存するものが多く、金字は道長願経に比べるとやや薄いが、ほぼ判読可能である。
 道長願経は元禄四年(一六九一)出土と伝えられ、師通願経も明治時代の神仏分離以前に出土したと推測される。これらは、出土後に年月を経て各所に分蔵されるようになった。
金峯神社所有の本経は、金峯山寺所有の一群に次ぐ七十九紙という枚数を誇っている。また、他には小片二例しか伝わっていない表紙断簡七巻分が含まれており、表紙や見返の図像研究にとっても貴重な史料である。表紙の現状から下半を欠くものは道長願経、天地が残る一巻分のみ師通願経のものと判断できる。
これらは、我が国の歴史上、著名な人物の自筆であり、かつ、関係史料から埋納の経緯も知られることから、文化史研究上、学術的にきわめて価値が高く、特に貴重である。

金峯山経塚出土紺紙金字経

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