梅花を墨のみで写す墨梅図は中国において北宋末に勃興し、花光仲仁(かこうちゅうにん)・揚无咎(ようむきゅう)・王冕(おうべん)・劉世儒(りゅうせいじゅ)等、歴代、名手を輩出してきた。清の墨梅を代表する1人が李方膺(りほうよう、1696-1755)である。彼の墨梅は伝統を継承しながらも、型にとらわれない新鮮味がある。筆墨の技を単純明快に示し、図版のように短い1枝に濃墨・淡墨・飛白の3様を巧みにつなぎ合わせている。揚州府に属する通州(江蘇南通)の出身で、自由奔放な作風の故に揚州八怪(ようしゅうはっかい)の1人に数えられる。本図は、晩年、地方官を追われて困窮し、金陵(南京)項氏の花園を借りて住まった借園で造られている。絵事に専心し、画境の最も充実した時期の傑作である。
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