漁樵図屏風 ぎょしょうずびょうぶ

絵画 日本画 / 江戸

  • 堀川敬周(1789頃~1858)  (1789頃~1858)
  • ほりかわけいしゅう
  • 富山県高岡市
  • 天保15年 / 1844年
  • 絹本・墨画彩色
  • 〔本紙〕各 縦134.5cm×横61.7cm
    〔各扇〕縦173.8cm×横86.5cm
    〔全体〕縦173.8cm×横173.6cm
  • 1
  • 富山県高岡市古城1-5
  • 資料番号 3-01-01-33

 高岡初の町絵師・堀川敬周(1789頃~1858)が描いた漁樵図屏風。左図に童を連れた漁夫、右図に薪を担いだ樵(木こり)を描く。それぞれの会話や息遣いまで感じさせ、敬周の優れた技能がうかがえる。
 左図左下に落款「天保甲辰秋日写/敬周」と、白文方印「敬周之印」、朱文方印「字曰公載」の印章がある。
 「漁樵図」とは、漁夫と樵(木こり)を描いたもので、大自然を友に悠々と生きる両者が互いの天分について語り合う中国の詩「漁樵問答」に基づいた人気の画題である。高岡初の町絵師であった敬周は山水花鳥や人物、風物などあらゆる画題を求めに応じて描いた。

◆堀川 敬周(ほりかわ けいしゅう)
〔生没年:寛政元年(1789)頃~安政5年(1858)〕
 
 江戸後期に商工活動が盛んになった高岡で現れた最初の専門町絵師。天保・弘化年間(1830~48)を中心に活躍し、初期高岡画壇の礎を築いた。姓は「源」、字(もしくは氏)が「公載」といい、「長汀」とも称した。『高岡史料』下巻(1909年、高岡市)によると、高岡堀上町の紺屋・湊屋平助の二男に生まれ、片原中島町の画人・堀蠖翁の養子となった。その後画業を志し、京都四条派の紀広成、東東洋に学び、山水・花鳥・人物などあらゆる画題を修得した。
 一方で漢詩人・大窪詩仏、金沢の俳人・桜井梅室、高岡瑞龍寺の閑雲禅師ら多くの文人墨客達と親交をもち、洒脱な俳画や風俗画も描いた、また高田蕙圃など多数の弟子を育成した。

漁樵図屏風 ぎょしょうずびょうぶ

ページトップへ