遺跡は、松阪市嬉野町に所在する。この地は伊勢平野の西部、布引山系から東流する中村川の左岸段丘上にあたり、本件はこの地に構築された縄文時代後期中葉から晩期初頭にかけての大規模な配石遺構、及びその周辺から出土した遺物全163点で構成される。その内容は、多量の土器・土偶・土製品に加えて、敲石等の水銀朱(辰砂)精製用具、岩偶や石棒・石剣などの祭祀用具を含む多数の石器・石製品と多彩である。
特に土偶は、残欠を含めて42点が出土し、この数は西日本における土偶多出遺跡として奈良県橿原遺跡出土品(重要文化財)に次ぐ。土器は、一乗寺K式から滋賀里I・II式までの各型式に、東日本に分布の中心を置く賀曽利B式土器の影響が強い土器も伴う。
本件は、縄文時代における西日本と東日本との結節点としての当遺跡の性格を如実に示した出土品で、西日本における豊富な祭祀用具の組成を示す好例であり、その学術的価値はきわめて高い。