天正十三年(一五八五)六月、四国征伐にあたり、先鋒として伊豫に軍を進めていた小早川隆景に羽柴(豊臣)秀吉が送った御内書。予定通りの渡海を祝し秀吉自らは来月三日「出馬」する予定であることを告げる。
小早川隆景は毛利元就の三男。安芸国沼田荘の小早川家に入り、天正十年、秀吉と講和を結んで以後はその下で四国・九州征伐に従軍した。
使者の蜂須賀正勝、黒田長政と相談し、くれぐれも「越度(落度)」のないようにという文面からは、秀吉の四国征伐に賭けたひとからならぬ意気込みがひしひしと伝わってくる。
十九日之書状今日
到来令披見候、
仍至于豫州
表渡海之由候
誠炎天之時分
御辛労此事候、
自此方近々
差遣人数にて
秀吉、来月三日
出馬之条、被
得其意、先手之
者共被相談
無越度様ニ可
被及行事専
用、委細尚
蜂須賀彦右衛門・
黒田官兵衛尉可
申候、謹言
六月廿四日 秀吉(花押)
小早川左衛門尉殿