八重山上布は、イラクサ科の苧麻(ちょま)を原材料とした八重山の伝統的な織物製作技法で、主として石垣島内で栽培される苧麻を手績(てうみ)した糸を使用し、紅露(くーる)や藍、福木(ふくぎ)、その他同島内に育つ植物等を染料に用いる。その起源は定かではないが、文献資料では1477年に島民の苧麻での製織の記述が確認できる。1637年から250年以上 続いた人頭税(にんとうぜい)(頭懸(ずがかり))制度下の貢納布(こうのうふ)制度では、琉球王府の厳しい監督下で八重山上布の品質管理が行われた。なかでも、「御用布(ごようふ)」には、「赤嶋上布(あかしまじょうふ)」や「紺嶋上布(こんしまじょうふ)」 などの別があり、王府によって絣の柄や色が指定され、極めて高度に技術的な洗練と発展を促した。 明治時代後期に染液を直接糸に摺り込む捺染上布(なっせんじょうふ)が考案され、織機の改良も重ねられるなど、八重山上布は捺染上布として産業化し、大正時代には主流を占めるも、昭和に入り衰退した。一方、貢納布として織られていた手結(てゆい)の絣技法等による「紺嶋上布」( 括染(くくりぞめ)上布)も量産が難しく、従事する人が減少した。戦後、八重山上布は、関係者の尽力により復興が図られ、今日では、伝統的な染織技法を土台に、自由な発想による芸術性 の高い作品制作が行われている。