宋版一切経〈宋版三千百一帖/和版二百十七帖、写本百六十八帖〉 そうはんいっさいきょう

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  • 神奈川県
  • 南宋
  • 3486帖
  • 神奈川県立金沢文庫 神奈川県横浜市金沢区金沢町142
  • 重文指定年月日:19970630
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 称名寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 本一切経は金沢称名寺に伝来した全三、四八六帖からなる宋版一切経で、福州開元寺版(二、一一六帖)と福州東禅寺版(九七八帖)を中心に一部思渓版(七帖)、和版(二一七帖)、写本(一六八帖)をもって補った混蔵経である。本一切経は、北条実時(一二二四-七六)の「依律法興行之御願、有経律論蔵之奉請」との意向により、常陸小田三村山清涼院の「貞(定)舜」を入宋させて弘長元年(一二六一)に「福州」から将来し、金沢称名寺に寄進したものである。
 宋版の体裁はいずれも折本装で一紙三〇行、一行一七字、一折六行である。上下単辺で、版心に函名、巻数、紙数、刊年、施主名、刻工者名を記す。表紙は紺地帙表紙、料紙は黄蘗染紙である。一部に訓点として朱句切点・ヲコト点(博士家点)、墨仮名点・返点などがみられる。経典名の下には千字文が確認できる。このうち中心を占める開元寺版は政和二年(一一一二)から紹興二十一年(一一五一)に至る四〇年間で開版されたものであるが、本一切経の開元寺版は巻頭の題記等から、その多くは南宋印行本であることが知られる。東禅寺版は北宋の元豊三年(一〇八〇)から政和二年にかけて開版されたものであるが、本一切経の東禅寺版は崇寧元・同二年(一一〇七・八)などの巻頭の題記からおよそ五種類に分けられる。『大般若波羅蜜多経』巻八十一などの版心には「日本国僧慶政捨」の捨銭記がみえ、東禅寺版一切経の開版事業に対する入宋僧のかかわりの一端が知られて興味深い。宋版を補った和版は『大方広仏華厳経』『大般涅槃経』などの五部大乗経であり、その体裁などは宋版と略同じである。『大乗大方等日蔵経』巻十などには「奉施入于金沢称名寺、徳治二年二月廿五日、尼蓮如」という施入墨書があり、上部欄外に墨書の校合書入がみられる『大方広仏華厳経』は湛睿(一二七一-一三四六)による書入が確認できることから、和版は遅くとも鎌倉時代後期の版本ということになる。『大方広仏華厳経』巻一には「日本国相州霊山等沙門宝積如心寂慧等謹募衆縁、奉開鏤大蔵経内為国安民安四恩法界仏果円満也」という開版記がみえる。五部大乗経の施主としては「源宗定」「佐渡守護」「大法師親瑜」等僧俗の老若男女の存在を確認できる。五部大乗経が、将来後半世紀を経ぬ時点で和版をもって補われている事実は、称名寺一切経が実時の寄進当初より五部大乗経部分を欠いていたことをうかがわせ、実時による西大寺への寄進が将来の一蔵分を分割寄進した可能性を推測させて興味深い。写本の経典類には大乗論である『大方広仏華厳経合論』などが多数含まれている。奥書には「福州大中寺印造」「福州東禅印行」などとみえ、書写に際して宋版本を底本として用いていたことが知られる。『大宋高僧伝』は書写奥書から正和二年(一三一三)に鎌倉の禅興寺、建長寺、寿福寺などの禅宗寺院の禅僧によって分担されて書写されたことが知られ、当時の鎌倉における禅僧の写経活動の一端がうかがわれて貴重である。
 附とした版本一切経目録一幅は、中央の釈迦像を中心に千字文を配した版本の一切経目録であり、その形式から東禅寺版一切経目録の可能性が高いと認められるものである。よって、その伝来を尊重して、その保存を図ることとしたい。
 このように金沢称名寺に伝来する宋版一切経は日宋交流史、仏教文化史上に重要であるのみならず、西大寺流律宗の東国への展開と北条氏との関係を知るうえでも注目され、かつ東国において伝来や由緒が明白でまとまった宋版一切経遺品として貴重である。

宋版一切経〈宋版三千百一帖/和版二百十七帖、写本百六十八帖〉

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