絹本著色三千仏名宝塔図 けんぽんちゃくしょくさんぜんぶつみょうほうとうず

絵画 / 鎌倉

  • 鎌倉 / 1333
  • 1幅
  • 重文指定年月日:19940628
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 冨賀寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 本図は『三千仏名【ぶつみよう】経』に記された三劫三千仏の名を連ねて宝塔および放光を表し、下方にこれを賛嘆する群衆を巡らせたものである。三千仏の画像としては、一幅本の広隆寺蔵本(重要文化財 昭和四〇・五・二九)や三幅本の海住山寺蔵本および称名寺蔵本などがあるが、本図はこれらと異なり三千仏の形姿を描かず名号を連ねる点に特徴がある。また、三千仏図には主尊として過去現在未来の三劫にあてた三尊を表すのがふつうであり、本図で五仏を描いていることも珍しい。本図が禅林下における作とみられることから、禅宗でとくに流布した『大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経』(楞厳経)巻七に説かれる盧舎那【るしやな】・釈迦・弥勒・阿〓【あしゆく】・弥陀に、この五仏を比定することもできよう。
 本図のように経文により塔を表す宝塔図として『金光明最勝王経』や『法華経』による作例があるが、『三千仏名経』による例は知られていない。
 画中の如来や菩薩以下の群衆は、軽妙な描線と丁寧な彩色により生気のある表情をみせる。如来は額幅が広く額際が波うつ顔容であり、放光や湧雲の形状とあわせて、宋代末期から元代ころの仏画表現に通じる。著賛時期をさほど隔たらないころ、宋元代の中国仏画を祖本として制作されたのであろう。
 本図に著賛している元僧竺仙梵僊【じくせんぼんせん】(一二九二-一三四八)は古林清茂【くりんせいむ】に参じ、元徳元年(一三九二)明極楚俊【みんきそしゆん】に従って来朝した。正慶元年(一三三二)二月十四日鎌倉浄妙寺に入寺しており、本図著賛はその翌年にあたる。浄妙寺は足利氏の氏寺的な性格を有していたが、本図が伝わる冨賀寺が延元年中(一三三六-九)に足利尊氏から祈願所として寺領一八〇町を寄進されたという寺伝をもつことは、本図の伝来を考える上で参考となろう。
 他に例をみない特異な宝塔図であるうえに、群衆表現は的確かつ丁寧であり、さらに制作期と作画環境がほぼ特定できる本図の価値はきわめて高い。

絹本著色三千仏名宝塔図

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