高山寺石水院(五所堂) 一棟
高山寺は天台僧尊意の開く所で、のち明恵上人(一一七三~一二三二)がこれを再興したという。石水院は明恵の住房であるが、当初のものは安貞二年(一二二八)の洪水で失われ、その後この建物が石水院と呼ばれ、明恵の庵室と伝えられてきた。以前は金堂の東方にあったが、明治二十二年現在地に移された。
この建物は元来東経蔵と呼ばれたもので、寛永十四年(一六三七)の古図でみると東方の現在座敷の所が顕経蔵、西寄りの細長い室が春日・住吉両明神の安置所、その北の方一間の小室は密経蔵とあり、このことは現在も柱に残る痕跡などから確かめられる。現建物は全般的に改造がはなはだしいが、明恵再興時の唯一の遺構である。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)