浄瑠璃寺本堂(九体寺本堂) 一棟
浄瑠璃寺は行基(六六八~七四九)の草創で、その後荒廃して永承二年(一〇四七)僧義明が再興したと伝える。永承再建の本堂は嘉承二年(一一〇七)に撤却され、代わって新たに堂と仏像とを造り、同三年(天仁元年、一一〇八)仏像の開眼供養があった。さらに保元二年(一一五七)に堂は池の西岸に移されたが、これが現在の地である。堂の様式手法からも平安時代後期の建立と認められる。その後嘉暦三年(一三二八)に修理があり、江戸時代には正面中央に一間の向拝が付加されるなどのことがあり、現在に至った。
本堂は桁行十一間、梁間四間の長い建物で、組物は隅にのみ舟肘木を用い、緩い勾配の寄棟造、本瓦葺の屋根をのせる。内部は九間に二間の内陣に九間通しの仏壇を構え、九体の阿弥陀像(国宝)を一列に安置して壮観を呈している。天井は内外陣とも化粧屋根裏で、内陣大虹梁の上に合掌を組んで化粧棟木を支える単純明快な手法を用い、中央本尊の上を一段高くして変化を求めている。
このように細長い平面は九体の阿弥陀像を安置するため特に必要であって、当時は数多く造られたが、この本堂は九体阿弥陀堂唯一の遺構として貴重である。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)