高野山金剛峯寺は平安時代初期に空海(七七四~八三五)が創立した。不動堂は藤原麗子の御願により建久八年(一一九七)に建立されたものが、鎌倉時代後期に建て替えられたものとみられる。当初一心院谷にあったが、明治四十一年解体修理の際現在の地に移された。
堂は桁行三間、梁間四間の主屋を中心に、右側に桁行一間、梁間三間、また左側に桁行一間、梁間四間の各脇間が付属した平面をもち、さらに正面には一間の向拝がある。これに応じて、屋根も入母屋造の主屋屋根の両側に縋破風造の庇屋根を付した複雑な構成をなしている。四周には高欄のない縁をめぐらし、大面取の角柱上には出三斗組あるいは舟肘木を置き、面取の細い垂木をうけている。内部は天井を折上小組格天井とし中央に仏壇を設けている。総体に木割が細く細部に前時代の手法を伝えており、鎌倉時代におけるこの種の建築中の傑作である。