古賀穀堂墓碑拓影 こがこくどうぼひたくえい

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天保7年(1836)、10代佐賀藩主鍋島直正は侍講で御側頭だった古賀穀堂の死去に際して内々に香典を贈り、墓所として土地を与え、命日には祭祀料を毎年贈る事を約束するなど、穀堂亡き後もその恩に報い続けた。のち弘化2年(1845)、穀堂の息子大一郎が墓碑を建立するにあたっても「格別の思し召し」として銀十枚を贈っている(「直正公譜」)。こうして建てられた穀堂墓碑は今も北山(佐賀市金立)に残されている。

古賀穀堂墓碑拓影 こがこくどうぼひたくえい

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