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月明 一面
吉岡堅二
紙本著色
一七五・八×一七〇・〇
昭和四十九年 (一九七四)
東京国立近代美術館
作者寄贈
日本画家吉岡華堂(かどう)の子として生まれ二十歳で帝展に初入選するなど、若くしてその才能を開花させていた堅二(一九〇六〜一九九〇)は、昭和九年(一九三四) に福田豊四郎、小松均(ひとし)らと「山樹社(さんじゅしゃ)」を結成するなど戦前から日本画のモダニズムを追求した。戦後昭和二十三年(一九四八)、山本丘人(きゅうじん)らと創造美術を結成、日展を離れた。昭和四十九年(一九七四)創画会を結成し、一貫して日本画の前衛を模索した。
この作品は第一回創画会展に出品された堅二後期の代表作である。白鳥と思しき鳥たちが身を振るようにして乱れ飛ぶ。鳥は昭和三十年代から堅二の主要モチーフとして登場している。題名からルナティックな狂気幻想が連想されるが、それと同時に三角や四角を作りながら構成される画面の造形性は周到な計算によって仕掛けられていることに気づく。そこにはもはやあの日本画本来の抒情的花鳥風月の風景美は姿を消して、むしろ画家の心象風景が強い意志で造形化されている。