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杉山寧《穹》
一九六四(昭和三十九)年
カンヴァス 額装
二二六・〇×一七二・〇cm
第七回新日展(一九六四年)
東京国立近代美術館
杉山寧の作品の特徴は、日本画ではめずらしいほどの造形的、理知的な美しさにある。画学生の頃に「純粋絵画」という言葉に惹かれた杉山寧は、「絵画」だけでなくては表現できないものを求めて歩んできたという。そして、それまでの日本画が頼ってきた、あるいはそれと不可分の関係にあった情緒性とか文学性を極力排除することによって、平面的で脆弱な体質をもつ日本画を造形的により強固なものにしようとした。その厳格な画面構成と徹底した描写は、日本画を「絵画」それ自体を成り立たせているものによって表現し、「絵画」そのものとして自立させようとするもので、そこに杉山が育った戦前期の美術界におけるモダニズムの影響を色濃くみることができるとも言えよう。
一九六二(昭和三十七)年の秋に杉山は念願のエジプトへ旅行し、ルクソールをはじめ数多くの遺跡を見て回ったが、なかでも最も印象に残ったのはやはり大ピラミッドとスフィンクスだったという。長い歴史のなかで、なお厳然として荒地に聳えるふたつの古代遺跡に、深い感動を受けたであろうことは想像にかたくない。古代の美術品について作者は、「それには人間本来の姿、なにものにも拘束されない原型が存在しているように思われる。そこには永遠性がある。私はその雄●な表現を新しく自分のものにしたい」(画集『杉山寧』文垂春秋)と語っている。「穹」はキュウと読み、広く張って大地を覆う大空という意味がある。どこからともなく差し込む一条のひかりの下、果てしない時間の流れに身をまかせ、スフィンクスが謎を秘めたまま悠然と座っている。緊密な構成、カンヴァス地にカゼインと砂を混ぜた厚塗りのマティエールがつくり出す強い造形感覚と圧倒的な存在感に、この画家が目指した理想の世界をはっきりと見てとることができよう。
杉山寧は一九〇九(明治四十二)年東京に生まれる、一九二八年東京美術学校に入学した。新興大和絵運動を興した松岡映丘に師事、在学中に帝展で特選をとるなど、早くからその才能を注目された。戦前は一九三四年に同じ映丘門下の山本丘人、浦田正夫らと研究団体としての瑠爽画社を結成するなど積極的な制作活動を行なったが、一時病気で画壇から遠ざかることを余儀なくされた。戦後は第七回日展の《エウロぺ》で復帰、その後抽象的な画風を経て、エジプトやギリシャの古代美、生命感に溢れる裸婦、カッパドキアの荒涼とした風景などを描いて、伝統的な日本画に新しい局面を切り開いていった。一九九三(平成五)年に歿。(尾崎)