光明寺二王門 一棟
光明寺は聖徳太子の創立で、聖宝(八三二~九〇九)が中興して密教としたと伝えている。二王門は宝治二年(一二四八)の墨書があるので建立年代が明らかである。建立以後たびたび修理をうけてはいるが、根本的な大修理はなかったようである。
三間一戸の二重門であって、左右の脇の間には仁王像を置くが、普通の仁王門が前列に像を置くのに対して、ここは後列にあり、しかも前列を低い床張りとしている。これは中世における仁王信仰に基づく形式とみられ、今日ではきわめて珍しい構えといえる。上、下重とも組物を三手先、中備は間斗束とし、正規の和様を示している。ただし下重の頭貫鼻には繰形があり、独特な曲線をもっている。屋根は栩葺である。
鎌倉時代の遺構のうち、年代もはっきりしており、数少ない二重門の例として貴重である。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)