正八幡宮は、弘仁五年(八一四)に外敵侵攻に対する護りとして宇佐から八幡神を勧請したのをそのおこりとし、文亀元年(一五〇一)に大内義興によって現在地に移された。現在の社殿は、毛利宗広が元文五年に建立したもので、本殿、拝殿、楼門及び庁屋で構成されている。
本殿は規模の大きな三間社流造で、各部に用いられた彫刻等は質が良い。
拝殿は、本殿の前に接して建つ畳敷の建物で、後方に張り出し部をもった比較的簡素な建物である。
楼門は、柱間一間の楼造形式で、正面に唐破風造の向拝をつけ、扉を設けない。この左右に拝殿を囲むような形の庁屋(翼廊)が取り付く。
正八幡宮は、この地方に独特な楼門および庁屋をもち、同時代に建てられた本殿、拝殿がそろっており、山口県の近世神社建築の代表例として貴重な存在である。