木造弘法大師坐像 もくぞうこうぼうだいしざぞう

彫刻 / 鎌倉

  • 鎌倉 / 1294
  • 1躯
  • 重文指定年月日:19960627
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 遍照寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 等身よりやや小ぶりに造られた弘法大師像で、檜材の一木造、玉眼嵌入、彩色仕上げになる。頭体幹部は前後二材よりなり、内刳(像内に貫通)を施し割首とする。これに両足部横一材、両膝奥各一材を矧付ける。
 像内背面の墨書銘により、永仁二年(一二九四)に熊野三御山大仏師良円が造進したことがわかる。銘文は両足部内刳面にもあり、「大伝法院御領小池村」に続き本像造立の関係者と見られる二六人の僧俗の名が記されている。大伝法院とは本寺に近い根来寺のことで、小池村は本寺のある地域を含めたこのあたりの一帯をいうらしい。
 根来寺には明徳二年(一三九一)三条法印定円作の銘がある弘法大師像が伝存するが、本像の作者良円もこの派の系統の仏師と考えられ、元亨三年(一三二三)に愛知・長隆寺阿弥陀如来像の両脇侍像を造った三条少納言常円子息法橋良円と同一人物である可能性が高い。その造形はいくぶん類型化もみられるものの堅実で、鎌倉後期の円派仏師による基準作例として注目される。
 像内には版本の種字両界曼荼羅、阿弥陀三尊、弘法大師像各一枚および地蔵菩薩像四枚の画像が納められていた。地蔵菩薩像には弘安二年(一二七九)正月、南都般若寺沙門信空の刊記がある。信空は叡尊の高弟で西大寺中興二世となった人物である。これらは本像造立の事情を考えるうえで重要な資料であるのみならず、遺品の希な当代の大型の版画としても貴重な存在である。

木造弘法大師坐像

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